望みは“湧く”もの──宇宙が語りかけてくる、ひそやかなサイン

花火大会で起きた、ちいさな「望みの現象」

数年前の花火大会中のこと。

まだ小さかったうちの3番目の子・なな子が、まずこう言い出しました。

「暑い!ジュース飲みたい!もう帰るー!」

……はじまったな(笑)と思っていたら、なんと。

前にいた見知らぬ方が、「どうぞ☆」と、
まさかの ガリガリ君とCCレモンを差し出してくれたんです。

さらに帰り道。

人混みに疲れ果て、ようやく乗り込んだバスに座席がなく、
「座りた〜いっ!!!」と、またもや叫び出すなな子。

すると隣にいたカップルが笑いながら、
「おじさん元気だから、座って♪」と席を譲ってくれました。

望みは、自分が作るのものではなく、“自分を通して湧いてくるもの”

なな子の「暑い」「飲みたい」「座りたい」は、
ジャッジも遠慮もなく、ただそのまま“出てきた”望みでした。

でもそれは、ただのわがままではなく、
宇宙がなな子を通して語ったような、
自然で純粋な現れ
に感じられたのです。

わたしたちはつい、「自分の意思で望んでいる」と思いがち。

でも、本当にそうでしょうか?

ミヒャエル・エンデは『はてしない物語』の中で、こう語っています。

望みというのは、好き勝手に呼び起こしたり抑えつけたりできるものではない。

そのための意図がよかろうと悪かろうと、望みはあらゆる意図よりはるかに深い深みからおこってくる。

しかもそれは、ひそかに、気づかないうちにおこってくる。

──そう。望みは「湧く」ものであって、「作る」ものでも探すものでもない。

意図を超えた深いところから、自然と生まれる現象

「望む力」は、宇宙と響き合う力

エンデの『魔法の学校』には、「望む力」の規則も登場します。

1 ほんとうに望むことができるのは、できると思うことだけ。
2 できると思うことは、自分のお話にあうことだけ。
3 自分のお話にあっているのは、ほんとうに望んでいることだけ。

ここで言われているのも、“個人の欲望”ではなく、
その人の物語に沿った、自然な流れとしての望み

それは、自分でコントロールするのではなく、
ただ意識を澄ませ、それがそこにあることを直観していくものなのだと思います。

素直さは、流れとひとつであるサイン

なな子の姿を見て、わたしが改めて感じたのは、
「素直さ」は、宇宙との共振状態だということ

だからこそ、彼女の周囲には自然と手が差し伸べられ、
流れるように“望み”が叶っていったのだと思います。

花火大会とは別のところで、とあるお店の前に貼ってあったチョコバナナのポスターを指差し、

「これ食べたい!」となな子が口に出したところ、なんと、お店の中から、

「はい!売れ残ってるからあげる!」とチョコバナナが差し出されたこともあったりました。

 

「自分」が望むのではない。
宇宙が「わたし」を通して望む

自分マスター講座で大切にしているのは、
「何を望むか」ではなく、「その望みがどこから来ているか」を観ること。

そしてそれが、
エゴの欲望ではなく、宇宙の流れから自然と“湧いた”望みであるとき──

すでにそのプロセスに乗っていることを、
わたしたちはどこかでちゃんと感じ取っているものです。

あなたの中に、ひっそりと湧いてきている“望み”。
それは、あなたという物語の中にある、本質の声。

静かに、意識を澄ませてみてください。

意識を澄ませていくのには「余計なことをやめる」という大事なプロセスがあるのですけどね。

 

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