「やめたいのにやめられない」はなぜ起こる? ー 依存と快楽と望みのほんとうの話
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やめたいのにやめられない」はなぜ起こる?
ー 依存と快楽と望みのほんとうの話
「やめたいのにやめられない」
「気づけばまた繰り返していた」
「依存」というのは、そんなふうにして
私たちの人生に深く根を張っているもの。
でもそれというのは、
単なる意志の弱さや
性格の問題ではありません。
その背後には、「観照を避けたい」
「本質の自分と出会いたくない」という
深層のエゴの仕組みが隠れています。
この記事では、
あらゆる依存の構造を明らかにし、
(スピリチュアル依存も含む)
そこから抜け出すヒントを、
自分マスターの視点でお伝えします。
観照から逃げるために、依存する
本当の自分=Beingで在ることを避けてしまう時、
私たちは“何か”でその空白を埋めようとします。
それが、依存です。
アルコールや食、SNSや買い物、
恋愛やボランティア、仕事や自己啓発、
スピリチュアルな学びや「引き寄せ」なども
その例外ではありません。
どれも共通しているのは、
「今ここにある自分」と向き合わずに
済むようにしてくれるということです。
依存とは、「観照を避けるための構造」でもあるのです。
快楽は、エゴを延命させる仕組み
依存の多くは、“快楽”に絡んでいます。
ここで言う快楽とは、
単に気持ちいいことや楽しいことだけではなく、
- 怒りにまかせて爆発する
- 被害者になって泣く
- 不安や心配で頭をいっぱいにする
…そんな一見“ネガティブ”な感情ですら、
エゴにとっては「一瞬の快感」になるのです。
怒っているとき、私たちは
“自分が正しい”という感覚で満たされ、
不安になっているとき、実は
“何かに守ってほしい”という甘さを味わっている。
それは無自覚のうちに、
エゴが“快感”として喜んでいる状態です。
そしてその快感が過ぎ去ったあとに残るのは、
罪悪感、自己否定、無力感…。
そのループが、依存の正体です。
欠乏を埋める「欲」か、満ちたところから湧く「望み」か
ではどうすれば、
このループから抜け出せるのでしょう?
その鍵が、「快楽」と「望み」の違いに気づくことです。
欠乏からの反応(快楽) | 本質からの衝動(望み) |
---|---|
足りないを埋めようとする | 満ちたところから湧いてくる |
外にある何かで満たしたい | 内なる静けさから自然に湧く |
一瞬で消える刺激 | 持続的に根を張る喜び |
エゴの延命装置 | Beingの現れ |
「快楽」は、自分が満たされていないという幻想から出発し、
「望み」は、すでに満ちているという真実から生まれます。
望みは、ブループリント=魂の設計図に刻まれた
ヴィジョンのようなもの。
本当の私たちは、
そこから人生を表現しに来ている存在です。
それに気づけるのは、
ゼロ=ニュートラルに還ったときだけ。
つまり、「観照」こそが、望みと繋がる入り口なのです。
欲の誘惑から何度でも戻る、という実践
「望みのほうがいいってわかった!じゃあすぐやめよう!」
…と思っても、現実はそんなに単純ではありませんよね。
私たちは、何度でも快楽に溺れ、
エゴに騙され、また観照を避けたくなります。
それでいいのです。
大切なのは、「何度でも戻る」という姿勢。
外に向かいそうになるその瞬間に、
「これは本当に望みから湧いてる?」
ふと立ち止まって、静かに問うてみる。
その一歩が、人生の質を大きく変えていきます。
自分の本質に還るという選択
依存を手放すことは、
「がんばってやめる」ことではなく、
自分の本質に還ること、観照に還ること。
だから、波動調整®︎も自分マスター講座も、
マジカルな引き寄せや欲望の現実化とは
真逆の方向を向いています。
もしあなたが、
「もうそろそろ本質に還りたい」
「本当の望みに生きたい」
そう思い始めているなら、ぜひ一度体験してみてください。
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