自分を好きになる必要すらない──パートナーシップが教えてくれる「本当の自己受容」

自分を好きになる必要すらない──パートナーシップが教えてくれる「本当の自己受容」

人と距離が近くなる前は、似ているところや、心地よい部分に惹かれ合いますよね。でも、いざ近づいて、毎日を共にするようになると、今度は「違うところ」がどうしても気になってくる。

パートナーシップって、その“違い”を受け容れ合いながら進化していく関係だと思うんです。ここには、ちょっとした大変さがつきものなんですよね。好きな面だけを見ていればいい、というわけではなくなるので。

■ 一緒に暮らすということは、「お互いの全部」と出会うこと

一緒に住むようになると、お互いの素の部分がぜんぶ見えてきます。きれいなところだけではなくて、弱さや癖、嫌な面も含めて。

先日のカラオケで “あなたといる時の私が一番好き” というような歌詞があったんですが、おそらく恋愛の初期の感覚なんだろうな、と感じました。結婚したら、そうはいきません(笑)。

むしろ、自分の中で一番見たくなかった部分が、相手との生活の中でふいに現れてくる。
相手の嫌な部分も見えてくるし、自分の嫌な部分も露わになる。

でも、それこそがパートナーシップの醍醐味であり、盲点にもなりやすいところです。

■ 「嫌いな自分」と出会うのは、相手のせいではない

多くの人が勘違いしがちなのが、
嫌な自分が出てくるのは “相手のせい” ではない ということ。

相手が嫌いなのではなくて、
相手を通して “自分の嫌な部分” が引き出されているだけなんですよね。

そこから逃げてしまうと、「嫌な自分」に向き合う機会を失うので、
同じパターンが繰り返されます。

逆に言えば、そこで逃げずに味わい、受け容れることができると、
それがそのまま「自分を愛するプロセス」 になるんです。

■ 「受け容れる=好きになる」ではない

ここが一番誤解されやすいポイントです。

受け容れるというのは、好きになることではありません。

嫌いな部分があってもいいし、嫌いなままでもいい。
ただ、「そういう面が私の中にあるんだな」と認めて、
そこに執着せずに、そっと置いておけるようになること。

変わる必要もないし、無理やり好きにならなくてもいいんです。

■ ありのままとは、「自然体のまま共にいる」こと

ナチュラルな自分を受け容れ合う関係というのは、
お互いが変わる必要がある、という意味ではなくて、

ありのままの自分を、そのまま差し出せる安心感があるということ。

私がジョージといる時に「嫌いな自分」も出てくるのは、
ジョージがそれを受け容れてくれる安心感があるからです。
そしてその嫌いな部分を、無理に好きになる必要もない。

「自分を好きになる」とよく言われるけれど、
本当の自己愛は、
嫌いな自分を嫌いなまま受け容れていられること
なんだと思います。

■ 私は自分を愛しているし、嫌いなところもたくさんある

愛していることと、嫌いな部分があることは矛盾しません。
むしろ両立して当たり前なんですよね。

ジョージのこともそう。
愛しているけれど、もちろん嫌いなところもあります(笑)。

弱さや嫌いな部分を隠すために“不倫に逃げる”という選択をしないのも、
その部分ごと受け容れられる関係性があるから。

不倫が悪いという話ではなくて、
目の前の人と100%向き合えないのは、やっぱり苦しい
というだけのことです。

家庭内別居やセックスレスも同じ構造の中にあります。

■ 変わるより先に、「BE(在り方)」が自然と変わる瞬間が来る

パートナーシップの形は、努力(DO)で無理に作るものではなく、
自分のBEが整ってきたときに自然と現れてきます。

だから、なんでも思い通りにできるわけではないけれど、
あきるほど辛い体験を繰り返していく中で、
ふと次のフェイズに移る瞬間が訪れる。

■ そして最後に。親も子も同じ構造の中にいる

これはパートナーシップだけの話ではなくて、
親子・兄弟との関係にも同じ構造があるんですよね。

「子供のことは全部好き」なんてありえなくて(笑)、
もちろん嫌いな側面もあります。別の人間なんだから当然です。

親のことも同じ。
みんな「無条件の愛」を求めていたけれど、
親側にも向き合いきれない弱さがある。

そういう意味では、
自分以外のすべての人が“ベターハーフ”
なのかもしれません。


自分マスター®︎講座の詳細はこちら
受講生の感想一覧──波動調整®︎で自分を超える、自分マスター®︎講座にて。


LINE登録バナー