エゴに気づいておく 〜それは「敵」ではなく、「気づきの入口」
Contents
エゴに気づいておく
〜それは「敵」ではなく、「気づきの入口」〜
本当の自分へ還る、静かな観照のプロセス
エゴはなくすべきものではない
スピリチュアルな学びをしていると、
「エゴをなくそう」「エゴを手放そう」
そんな言葉に出会うことがあります。
確かに、エゴに振り回されて生きると、
本来の自分からどんどん離れてしまう。
それは確かに事実です。
でも、自分マスターの視点から観るならば、
エゴというのは戦うべき敵ではなく、
ただ気づいていくべき“現象”にすぎない
そのことが、容易に理解できます。
本質は「在る」、エゴは「現れるもの」
「私はこの様であるべきだ」
「あの人にこう思われたい」
エゴとは、自分を“思考の対象”として捉える在り方。
もちろん、それは本質的な「私」ではなく、
思考・感情・感覚が生み出している
「自我の構造」に過ぎないのです。
本質である「在る(Being)」とは、
もっと静かで、もっとシンプル。
すでに“ある”という事実のなかに、
変わらず存在し続けているものです。
エゴを観照するだけで、軸足は変わり始める
では、どのようにすれば、
エゴに飲まれてしまうことなく、
本質に還ることができるのでしょうか?
答えはシンプルです。
> 「ただ、気づいておく」
エゴ的な思考や反応が湧き上がったときに、
「今、エゴが語っているな」と気づいておく
たった、それだけなのです。
それ以外に必要ないのです。
批判も否定も、修正も要りません。
それを変えようとする必要もありません。
ただ観る。
そして、それが“本当の私”ではないと知るです。
この観照の実践によって、
エゴと同一化していた“私”が
自然と剥がれ落ちていって、
静かに、本来の主体の側へと
軸足が還っていくことが起こるのです。
「気づく」だけで、変わるもの
・自分を責めていたのが、責める声として聞こえてくるだけになる
・他人の評価に振り回されていたのが、「評価されたい欲」があると気づけるようになる
・恐れに支配されていたのが、恐れが湧き上がる波として観られるようになる
気づきが起きた瞬間に、
それは“私”ではなくなるのです。
それでも、エゴは悪ではない
まず初めに理解すべきことは
エゴを排除しようとすればするほどに、
かえってエゴが強くなってしまうということ。
そして、誤解してはいけないのは、
決してエゴは悪ではないということ。
言ってみれば、エゴというのは、
本質から離れたところで生きてきた
「私」の健気な防衛でもあります。
だからこそ、戦わず、否定せず、ただ観る。
それこそが「自分をマスターする」という
そのことの第一歩なのです。
本当の私は、何ひとつ変えようとしない
Beingは、ただ在るだけです。
コントロールしようとも、正そうともしません。
それは、あらゆる現象をやさしく照らし、
「そのままであること」を赦している存在です。
エゴに気づいておくことは、
Beingの静けさに還るための
通過点であり、贈り物になります。
ですので、それを変えようとはせず、
それがそこにあったということに
ただただ、気づいていってください。
そうする内に、気がつけば、
世界が変わって観えてくるはずです。
💫 さらに深く学びたい方へ
▼ スピリチュアル迷子を卒業し、「本質から生きる」自分へ
[▶ 無料で学べる!自分マスター講座プロローグ]
▼ 自分をマスターし、魂のブループリントをただ生きる
[▶ 自分マスター講座の詳細はこちら]
—
📌 関連記事(シリーズ)
– [「いつも満たされない」本当の理由と、心の底から幸せを感じる生き方]
┗ 本質からずれた人生に終止符を打つステップとは?
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません