「大丈夫」をハラの底から感じること──野口晴哉に学ぶ、自立と内なる生命の道

「泳げるようになる」とは、
わらを手放すということ

 

「息を深くし、気を背骨に通して、"ウーム大丈夫"の心持たば、人は生する道を自ずと歩む也。

これは、整体創始者
野口晴哉先生のお言葉。

わたしが、このフレーズに
初めて触れたときには、

まるで背骨に風が通った

そんな感覚がありました。

「何かに求め、助けられるを希い、わらをつかんでいるうちは、泳ぐことできぬ也。」

…これ、グサッときますよね。

自分の力を信じられないとき、
苦しみの中にいるときには
何かにすがりたくなるのは

誰にでもあることですが、

“すがっている状態”そのものが、
実は自分の生命力の流れを
せき止めているのかもしれません。

「頼ること」と「依存すること」は、まったく違う

自力でできないことを、
無理してやろうとする
必要はありません。

助けてもらえるときには、
感謝して素直に受け取ればいい。

でもそのときの前提として、

【自分に“委ねている”感覚】

それがあるかどうかが大切。

自立していないと、
人を頼ることすら、できない。

「誰かが何とかしてくれなきゃ困る」

そんなふうに、誰かのせいにして
責任を手放してしまうのならば、
それは完全に依存と言えるでしょう。

「大丈夫」という言霊を、
ハラの底から響かせる

冒頭の言葉で野口先生が語った
「ウーム大丈夫」の境地。

それは、頭ではなく、
ハラの底から湧いてくる
確かな感覚
なんだと思います。

でもそれって、結局、
「自分に」というよりも、
“わたし”=大いなる源への
信頼がある
ということ。

宇宙の流れ、いのちの力、
全体の中にある安心感──

そういう“根源的な何か”に
預けることができたとき、
ようやく「大丈夫」と言える。

そして、その【わたし】から
現れているのが、今ここにいる“自分”、

だから、結果として
「自分を信じる」ことにも
間違いなくつながっていく。

でもそれは、エゴ的な自信や、
根拠ある自己肯定とはまったく違う

わたしたちは、日常の中で
この“感覚”を忘れてしまいがち。

でも、不安が湧いてきたときこそ、
深呼吸して、背骨にスッと気を通し、
スペースに立ち戻ったところで、

こう言ってみてください。


──「大丈夫」

それだけで、
立ち戻れる場所があります。

「宇宙に預けて、起こることをゆるす」
それが自立の本質

自分マスター講座は
「自分を良くする」ではなく、
本来の“Being”に還る道の実践。

すべてを宇宙に預け、
起こることをゆるしながら、
日常のなかで“観照”と
“気づき”と重ねていくこと。

そうやって、少しずつ
すがっていた"わら"を手放し、
泳ぎ出す準備
が自然と整う。

何かになろうとするんじゃなく、
すでに在るいのちを、信頼して任せる

その先に、本当の自立があります。

あなたのハラの声が、
静かに「大丈夫」と響きますように。

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