「個性は買えない」──終わりなき満たされなさと、消費社会が生み出す偽りの選択
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「個性は買えない」──終わりなき満たされなさと、消費社会が生み出す偽りの選択
以前、龍一郎と、倫理や哲学の話をしていたときのこと。
話の途中で突然、近所の図書館に走っていき、
「これ、読んで!」と一冊の本を持って帰ってきました(笑)。
どうやら「本来性なき疎外」という感覚を伝えたかったらしい。
過去に学校の課題図書だったそうなんだけど、なかなか面白い本でした。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』。
■ 消費社会は「満たされなさ」を戦略的につくり出す
本の中に、こんな一節があります。
消費社会は満たされなさという退屈を戦略的に作り出し、
人々をその中に投げ込むことで生き延びていると言えるかもしれない。
……だよね、って思わず頷いてしまう。
読んでいて「それ分かる」「そうそう」と思うところが、たくさんありました。
■ 「個性を持て」という強迫観念
さらに、こんな指摘もあります。
今日、広告は消費者の「個性」を煽り、
消費者が消費によって「個性的」になることをもとめる。消費者は「個性的」でなければならないという
強迫観念を抱く。問題は、そこで追求される「個性」が
いったい何なのかがだれにも分からないということである。
だから、「個性」は決して完成しない。
消費によって個性を追い求める限り、
人は満足に到達することがない。
失敗するというより、
そもそも成功しない構造。
到達点がないのに、
どこかに到達することを求められ続ける。
そしてその結果、
「選択の自由」が、消費者に強制される。
■ 終わりなき満たされなさが生むもの
終わりなき満たされなさは、
消費という名の浪費を止めどなく生み、
地球を根こそぎ搾取し続けています。
人間は、自分で自分の首を絞めながら、
いったいどこへ向かっているんだろう。
■ 外から足しても、個性は発現しない
外から何かを付け足すことで、
個性が発現することはありません。
むしろ、集合意識的な洗脳やプログラム、
催眠のようなものに埋没してしまっている
「源からやってくるオリジナル」を掘り出すには、
外側に付着した
価値観・正しさ・刷り込み・アイデンティティ・エレメンタル・カルマといった
ゴミを片付ける必要がある。
■ 探しに行くのをやめたとき、還れる場所
どこか外に向かって、
何かを探しに行くのではなく。
すでに埋もれてしまっている
本質に還る。
今は、そういうタイミングなんじゃないのかな、
と感じています。
自分マスターでやっているのも、まさにそれ。
足すことではなく、削ぎ落とすこと。
消費によって「個性的」になろうとする流れから、
そっと降りてみる。
その先にしか、
本当の意味での「私」は現れてこない。
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