恐れをベースにした善は偽善──まず自分を幻想から救い出すこと
恐れをベースにした善は偽善──まず自分を幻想から救い出すこと
「人のために」
「助けたい」──
その気持ちは
一見尊いものに見えます。
けれど、もしその奥に
恐れが隠れているなら、
それはただの煙幕にすぎません。
恐れを覆い隠す「助けたい」という思い
人を助けようとする行為は、
実は自分の中の恐れや
不安を見ないようにするための
煙幕になっていることがあります。
「誰かを助けたい」と思うとき、
「可哀想な人」
「助けられるべき弱い人」を
無意識のうちに作り出している
場合も少なくありません。
つまりその時点で、
もう上下や優越の構造が
働いてしまっているのです。
ニュートラルから生まれる本当の助け
一方で、本当に
ニュートラルで在るときは
どうでしょう。
そこには「助けたい」という
意図すら存在しません。
ただ自然と、
その場に応じて手が伸び、
声がかけられ、行為が起こる。
それは「善いことをしよう」
という思考ではなく、
源から湧き上がる
自然な表現なのです。
この違いはとても繊細ですが、
意識を澄ませて観てみれば、
必ず自分で気づけるようになります。
だからこそ、
まずは、自分を幻想から
救い出すことが先なのです。
恐れを観ることから始める
恐れを見ないために
「善い行為」で
ごまかしてしまうと、
根本は何も変わりません。
けれど、
その恐れをしっかりと観て、
認め、受け容れるとき──
そこから初めて、
本当の意味で
自由な行為が生まれてきます。
そしてそれは
「人を助ける」だけに限らず、
仕事も家庭も、人生すべてにおいて
自然な循環をもたらしていくのです。
恐れに基づいた
「助けたい」を超えて、
源から還元する在り方へ。
その実践を体感できるのが
自分マスター講座です。
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