「先生」と呼ばれたがるエゴ、呼びたがるエゴ──上下が生まれた瞬間、本質はすれ違う

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「先生」と呼ばれたがるエゴ、呼びたがるエゴ──上下が生まれた瞬間、本質はすれ違う
先日の自分マスター講座のあと、
懇親会でこんな話題になりました。
「講座や道場では、私のことを先生と呼ぶ人はいないんだけど、
受講生じゃない人が『先生』って呼んでくることがあってね。
だから『私、先生じゃありませんよ』って言うんだけど、
それでも先生と呼ばれ続けることがあるんだよね」
と私が言ったら、ジョージが一言。
「いやー、みんなの目標がひろ子さんで、
ひろ子さんみたいになりたいんですから、そりゃーね。」
一同、爆笑。
この空気感。
これをちゃんと笑って受け取れる人たちで、
本当によかったなぁと、しみじみ思いました。
というのも、
このネタがまったく通じない“ガチな界隈”って、
実際にあるんですよね(笑)。
■ 「先生」と呼ばれると気持ちいい理由
その流れで、
すでに「先生」と呼ばれる立場でもある受講生のお二人が、
こんなことを言いました。
「先生って呼ばれると、
気持ちいいの、わかります。エゴが(笑)」
これを笑って言えるのが、もう素晴らしい。
もちろん、
役割としての「先生」「講師」という立場はあります。
でも同時に、
そこに“上下”が生まれてしまうことが多々あるのです。
■ 上下が生まれた瞬間、奥と奥は出会えなくなる
人と人は、本来、対等です。
対等でいないと、
奥と奥では出会えない。
なのにエゴは、
エネルギーをもらったり奪ったりするために、
すぐ上下を作りたがります。
- 上に立ちたいエゴ
- 下にいたいエゴ
どちらも、
共依存的なエネルギーの使い方
なんですよね。
そして、その構造は、
本質が目覚めないように、
とてもよく働きます。
■ 4thまで来ると、空気がまるで違う
もちろん、
そういう癖を持ったまま受講しに来る人もいます。
でもね、
4thともなると、
そうした癖は鳴りをひそめてきます。
上下を作らなくても、
誰かに寄りかからなくても、
誰かの上に立たなくても、
みんなが、自分自身に寛いでいられる。
その度合いが、
ぐんと増してくるんです。
懇親会の雰囲気も、
1st、2nd、3rd、4thでは、
本当にまるで違う。
それを見ているのが、
私はとても面白いなと思っています。
■ どこかの誰か、ではなく
誰かを目標にして、
誰かみたいになろうとして、
上下を作って生きるのか。
それとも、
自分自身を、奥から体現していくのか。
自分マスター講座は、
「先生の言うことを学ぶ場所」ではありません。
自分の奥と出会い、
自分の人生を生きるための場です。
というわけで。
どこかの誰かではなく、
自分自身を、奥から生きていきたい人は、
ぜひどうぞ。
受講生の感想一覧
──波動調整®︎で自分を超える、自分マスター®︎講座にて。












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