自己肯定感ではなく、“存在の肯定”を取り戻す方法
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自己肯定感ではなく、
“存在の肯定”を取り戻す方法
「もっと自分を好きになりたい」と思っているあなたへ
「自己肯定感を高めましょう」
もう何度も何度も
そんな言葉を耳にしてきたかもしれませんし、
そのための努力をされてきたかもしれません。
けれど、
自己肯定感が上がったと思えたのに、
すぐにまた落ち込んでしまったり、
何かができたときには
「私も悪くないかも」と思えるけれど、
次に何かができなかったときには、
そんな自分を責めてしまう……
「自分を好きにならなければ」と、
思えば思うほど、疲れてしまう
そんな経験をしたことはありませんか?
自己肯定感が不安定なのは、当たり前
自己肯定感とは、多くの場合、
「自分には価値がある」と思える“感覚”のこと。
けれどその価値を決める基準は、
成果・能力・評価・人間関係など
外的要因や条件に左右されやすく、
安定したものではありません。
「できているときの自分」は肯定できても、
「うまくいっていない自分」は否定してしまう。
それは、“本当の私”ではなく、
役割や人格に対して価値をつけている状態です。
自分マスターが大切にする「存在の肯定」とは?
自己肯定感そのものは必要ない
自分マスターではそのように考えます。
「良い私だからOK」「悪い私だからダメ」
そうした二元的な判断を超えて、
ただただ「在る」ことに、
肯定も否定もせずニュートラルに在る。
それが、「存在の肯定」であり、
“ゼロポイントに自分を整える在り方"です。
水平の波と、垂直の意識
私たちの現実には、日々さまざまな感情や思考、
出来事までもが、波のように起こってきます。
これは“水平”の動きであり、
3次元の人生ドラマの一部です。
その波に巻き込まれることなく、
ただ静かに眺めるもう一つの視点があります。
それが、“垂直”の意識、不動の観照意識です。
水平と垂直が交差するポイントに自分を置く——
それが、自分マスターの基本であり、
「今ここ」に在るということです。
観照することで、“私”が変わる
「私なんてダメだ」「うまくいかない」
そんな思考や感情が現れたとき、
それを“私”と同一化しない。
ただ湧いてきた現象として観る。
それが観照の一歩です。
このとき、判断しているのが“誰なのか”
それに気づくことが出来ると、
それが一時的な人格(エゴ)であって、
本質の私ではないことがわかってきます。
「人生全体が私である」という感覚へ
観照する視点が育ってくると、人生に起こる
あらゆる出来事や人間関係さえも、
私という存在の一部だと感じるようになります。
“自己肯定"をするまでもなく、
「良い私」も「ダメな私」も、
そのまま受け容れられます。
そのとき、はじめて
根源的な安心感が戻ってくるのです。
夜にできる、やさしい内省ワーク
自分マスター講座で伝えている実践のひとつに、
「内省」という夜のワークがあります。
一日の終わりに、静かに振り返ってみてください。
- 言うべきだったのに言わなかったこと
- 言うべきでなかったのに言ってしまったこと
- 思うべきだったのに思わなかったこと
- 思うべきでなかったのに思ってしまったこと
- するべきだったのにしなかったこと
- するべきでなかったのにしてしまったこと
これは「反省」ではなく、ただ観照し、
源とのズレに気づくための優しい習慣です。
「今ここ」と丁寧に出会う
もうひとつの観照の実践として、
「丁寧に暮らす」というアプローチがあります。
「敬意を払う6つの意識」として
講座の中では詳しく扱いますが、
シンプルに言ってしまえば、
一つひとつの動作、思考、感情に気づくこと。
お茶をいれる。
洗い物をする。
呼吸する。
言葉を発する。
心が波立つ。
それらを“ながら”で済ませず、
今、ここで、それと出会っている
そんな感覚で大切にしてみてください。
存在の肯定から生きる人生へ
「もっと自己肯定感を高めなくちゃ」
これまで、そう思っていたあなたへ。
もう、自分を好きになる必要はありません。
そのままのあなたに、何かを足す必要はありません。
在ることを許し、そのままに還っていく。
自分マスター講座は、その本質的な変容を日常で体得していく道です。
エゴの自己イメージに振り回されず、
“本質の私”とともに在る生き方を。
まずは無料のプロローグ講座から、気軽に触れてみてください。
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