「問題はすべて幻ですよ」と言われて腹が立つとき──私たちが手放したくない“偽りの自己

「問題はすべて幻ですよ」と言われて腹が立つとき──私たちが手放したくない“偽りの自己”

「問題はすべて幻ですよ」

そう言うと、
むきになって怒り出す人がいます。

それは、その人が未熟だからでも、
理解力がないからでもありません。

自分のイメージが脅かされている
と、無意識に感じるからです。

エックハルト・トールは、こんなふうに言っています。

「問題はすべて幻ですよ」とわたしが言うと、
むきになって怒り出す人もいます。
その人たちは、自分のイメージがおびやかされている、と感じるからです。

こういう人たちは「偽りの自己イメージ」に、
膨大な時間を費やしているものです。

要するに、長い年月をかけて問題や痛みによって
アイデンティティをつくり上げているのです。

問題や痛みぬきでは、自分が誰なのか、
わからなくなってしまうんです。

──エックハルト・トール

■ 問題がなくなると「私」が消える恐怖

この言葉、とても静かだけど、
かなり鋭いところを突いています。

私たちは知らず知らずのうちに、

  • こんな問題を抱えている私
  • こんな苦しみを乗り越えてきた私
  • こんなに大変な状況にいる私

そうやって、
問題や痛みを材料にして「私」という像を作ってきた
ことが、実はとても多い。

だから、

「それ、幻ですよ」
「問題は本質じゃないですよ」

と言われると、

問題が否定されたのではなく、
“自分そのもの”を否定されたように感じてしまう。

それが、怒りや反発として出てくるんですね。

■ エゴは「問題のある私」でいたがる

自分マスター的に言うなら、
これはエゴの働きです。

エゴは、
物語がないと存在できない。

問題があり、
葛藤があり、
敵や障害があって、

はじめて
「私はここにいる」と感じられる。

だからエゴは、
問題を解決したいようでいて、
実は完全には手放したくない

問題が消えたら、
自分が空っぽになる気がするから。

■ 問題が幻だということと、苦しみがなかったことは別

ここでよく誤解されるのが、

「問題が幻=何も感じるな」
「苦しみは嘘だった」

という解釈。

そうではありません。

感情も、体験も、
現象としては確かに起きている。

ただ、

それを“私そのもの”だと信じ込んでいるところが幻
だという話なんです。

問題は、
あなたの中を過ぎ去っていくコンテンツの一つではあっても、
あなたそのものではない。

■ 問題を握りしめるのをやめたとき

問題を「自分の証明」に使うのをやめると、
何が起きるか。

最初は、
ちょっと不安になります。

「じゃあ私は、何者なの?」
「何を拠り所に生きればいいの?」

でも、その奥にあるのが、
これまでも、これからも今ここに在る“私”

自分マスターでいう、
Being、観照の主体です。

■ 問題は消さなくていい。ただ、同一化を外す

問題を消そうとしなくていい。

戦わなくていい。

解決しようと必死にならなくていい。

ただ、その問題を眺めることで、

問題はそれを眺めている「私」とは別のものだということに気づけばいい。

それだけで、
世界の見え方は変わり始めます。

問題が幻だというのは、
現実逃避の言葉ではなく、

本質に戻るための入り口
なんですよね。

■ 自分マスターは「問題のない人」になる講座ではない

自分マスター®︎講座は、
問題をなくす講座ではありません。

問題や痛みと、
自分を同一化しない在り方
を体感していく場です。

問題があってもいい。

揺れてもいい。

それでも、
その奥に在り続ける自分に還っていく。

それが、
「問題は幻」という言葉の、
本当の意味だと思っています。



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