「これは本当に自分の言葉?」──情報に飲まれず、目の前の世界と出会うということ

「これは本当に自分の言葉?」──情報に飲まれず、目の前の世界と出会うということ

私たちは日々、たくさんの知識や言葉に触れながら生きています。
けれどその中には、自分の奥から出てきたものではない言葉も多く混ざっています。

誰かの言葉、ニュースで流れた情報、SNSの意見──
それらが悪いわけではないのだけど、問題なのは

「自分の言葉だ」と無意識に思い込んでしまうこと。

知らないうちに、他人の価値観や情報を“自分”として生きてしまう。
それに気づかないと、心はどんどん曇っていきます。

🌿 情報を事実だと思い込むと、感覚が鈍る

たとえば最近、あちこちで見かけた

「ついに梅雨明け!」「ようやく梅雨明けです」

という言葉。

でも、私の感覚には「梅雨」らしいものがほとんどなかったんですよね。

時々雨は降ったけれど、
“洗濯が乾かない季節” といういつもの梅雨とは全然違った。

なのに、ニュースが「梅雨でした」と言えば、
「ああ、今年も梅雨だったんだ」と思い込んでしまう。

情報をそのまま“事実”として受け取ってしまうと、
自分のリアルな体験よりも、情報の方が上書きされてしまうんです。

🌸 本当は、目の前の世界がすべて

知識や情報が悪いわけじゃない。
でも、その前に立ち返りたいのは

「私は本当はどう感じている?」

ここなんです。

自分の体験、自分の感覚、自分が今ここで出会っている世界。
そこに耳を澄ませずに、
情報の横流しだけで生きていると、心はどんどん機械化していく。

AIを使っていても使っていなくても、
情報だけを真実だと思い込むなら、
それは「情報の奴隷」になってしまうということ。

🌱 自分の言葉で生きる始まりは、「今ここ」を感じること

大事なのは、
自分の奥から湧き上がる感覚や言葉に気づいてあげること。

目の前の世界とちゃんと出会い直すこと。

そこからしか、本当の意味での“自分”は始まらないし、
望みに沿った生き方も生まれてきません。

情報の世界から一歩外へ出て、
いま目の前にある現実と出会うこと。

そこに、本質へ還るための入口があります。