「削ぎ落とす」という生き方──野口晴哉『全生』に学ぶ、裡(うち)なる声を聴く

「削ぎ落とす」という生き方──野口晴哉『全生』に学ぶ、裡(うち)なる声を聴く

「これが欲しい」「もっと認められたい」──そんな心のざわめきがあるうちは、本当の“裡の声”は聞こえない。
でも、聞こえないからといって、その声が“ない”わけではない。

野口晴哉の『全生』の一節に、その真実が端的に示されています。

これが欲しいとか、もっと偉く見られたいとか、心が騒いでいては、裡に動く自然の要求は判らない。しかし判らないから無いのではない。
その息が調い、その心が静かになれば、誰でも感ずる。この裡の要求を感ずるということから「全生」の生活は出発する。これを本能の衝動を実行することだと解することは間違いである。

──野口晴哉

「裡(うち)の要求」とは何か

“裡の要求”とは、いのちの根源から自然に湧き上がる「動き」のこと。
でも、私たちは外の価値観や社会的ラベルをまといすぎて、それを感じ取れなくなっています。

「こうしなきゃ」「もっと良くならなきゃ」──そんな思考のノイズに覆われて、裡の声はかき消されていく。

人生劇場は、削ぎ落としの場

人生とは、“得るための修行”ではなく、「こびりつきを落とす」ための場

野口先生が言う「全生(ぜんせい)」の境地に至るには、この削ぎ落としが欠かせません。

けれど、削ぎ落としは優雅なプロセスではなく、しばしば“揺さぶり”として現れます。

たとえば、繰り返し起こる人間関係の摩擦。
思い通りにならない状況。
停滞しているように感じる時間。

それらはすべて、こびりついたエレメンタル(思念や癖)を浮き上がらせる装置なんです。

「七転八倒」しているあなたへ

最近、周囲でもエレメンタルが表面化して七転八倒している人をよく見かけます。

でも、それは悪いことではなく、むしろ“よくある兆し”。

表面化したということは、意識的に扱える段階に来たということ。

つまり、気づきの光が当たる準備が整ったんです。
だから、まずは「よかったね☆」でいい。

そこから少しずつ、“削ぎ落とす”という本当の変容が始まります。

自分マスター®︎講座は「削ぎ落とし」の実践の場

自分マスター®︎講座は、何かを「身につける」ための学びではありません。
むしろ、本質に還るために削ぎ落としていく実践の場です。

知識やテクニックではなく、身体・思考・感情を通して、「本当の自分」が自然に現れてくるプロセス。

それは「何者かになろう」とする道から、「すでに在る自分に還る」道への転換点。

いま、その境目にいる人にこそ、この講座の本質は響くと思います。

結びに

「削ぎ落とす」とは、捨てることでも我慢することでもなく、余分な力を抜いて、自然な自分に戻ること。

そのとき、裡の要求──“いのちの声”が、静かにあなたを導き始めます。

焦らず、飾らず、削ぎ落としながら。それが「全生」への道です。