「仕事=本質に仕えること」──稼ぐためではなく、生きるために働くということ

「仕事=本質に仕えること」──稼ぐためではなく、生きるために働くということ

「仕事って、したくないことを我慢してやるもの」──そう思っていませんか?

でも本来、“仕事”とは、自分の本質に仕えること=Beingの表現だと私は思っています。

「仕事=したくないこと」?

一般的に「仕事」という言葉は、「生活のために我慢してやること」として使われがちです。
でも、それって本当に“仕事”なのかな?

むしろそれは、稼ぐために自分をすり減らす“稼業”じゃない?と思うのです。

「稼業」と「仕事」は違う

仕事が稼業にもなっている人もいれば、そうではない人もいます。

でも、無自覚に“稼業”のことを“仕事”と呼んでいると、
「働く=苦しいこと」「仕方なくやること」という思い込みが固定化されてしまう。

だから一度、言葉の使い方を見直してみるといいかもしれません。

「これは私にとって仕事? それとも稼業?」

そう問い直すだけで、自分がどんな意識で日々を生きているのかがクリアになります。

仕事=本質に仕えること

私にとって、仕事とは“本質に仕えている状態”。

それは誰かのためでも、社会的評価のためでもなく、
自分の存在が自然に働いている状態です。

たとえば、文章を書くことも、講座をすることも、人と関わることも、
そして──バラを育てることも、私にとっては仕事。

それは外に向けた「成果」ではなく、内なるBeing(在る)からの表現だからです。

「したくないこと」は、しない

日々の中で、「嫌なのにやっていること」はほとんどありません。
掃除だって、自分と空間を整えるための“仕事”。

そして、もし「したくないこと」をするなら──それを受容し、楽しみ、情熱を傾ける。

そうやって生きていると、“したくないこと”すら、本質に仕える仕事に変わっていきます。

仕事とは、生き方そのもの

私にとって仕事とは、「何かをすること」ではなく、どう在るかという生き方そのもの。

好きなこと・苦手なこと・日常の雑事すらも、全部が“仕事”であり“奉仕”であり“創造”。

そう思うと、人生に“仕事じゃない時間”なんて、どこにもないんです。

結びに

“仕事”を「我慢して稼ぐこと」と定義している限り、私たちはいつまでも自分の力を制限し続けてしまう。

でも、仕事=本質に仕えること、そう定義し直した瞬間から、
すべての行為が、愛と意識の働きに変わっていく。

したくないことを手放し、したいことに情熱を傾け、
そのすべてを「仕事」と呼べる人生を生きていきたいですね。