「安心安全こそ危険?」──枠の中で生きることが奪っていくもの

「安心安全こそ危険?」──枠の中で生きることが奪っていくもの

「安心」「安全」「安定」──
それらは一見、良いことのように聞こえます。

でも、自分で作った“安心安全の枠”の中に閉じこもって生きると、
恐れや不安を感じることは少なくても、
本当の意味で“生きている”とは言えないかもしれません。

安心安全の中で眠るポテンシャル

私たちは無意識に、「怖いことが起きないように」「傷つかないように」と
安心できる範囲を選んで生きています。

それは悪いことではありません。
でも、その“安心の枠”に留まり続けることが、
知らず知らずのうちに自分を閉じ込めていることもあります。

怖さを感じない代わりに、ワクワクもしない。
失敗しない代わりに、成長もしない。

そうして、自分の本当の可能性に出会わないまま人生が過ぎていく。

安全であろうとするほど、未知の自分に出会えない

安心安全に生きようとすると、行動の基準は「どうすればリスクがないか」になります。

でも、そのリスク回避の思考こそが、あなたを“今までの自分”に縛りつけているのです。

未知への一歩を踏み出すとき、必ず恐れは出てきます。
でもその恐れは危険のサインではなく、
本質の方向を示すコンパスでもある。

恐れを感じるということは、いままでの枠を超えようとしている証拠なんです。

本当に危険なのは「変わらないこと」

多くの人は「危険=外側にあるもの」だと思っています。
でも、本当の危険は、変わらないこと、閉じてしまうこと。

枠の中に留まり続けて、心の声を無視し、
自分の生命力を封じ込めて生きる。
それは、静かに自分を失っていく危険な生き方です。

安全を超えて、本質を生きる

“本質を生きる”というのは、恐れがない状態ではありません。

恐れを感じながらも、その奥にある“生の衝動”に従って動くこと。
安心の中に留まるよりも、未知の自分に出会うことを選ぶ。

その選択こそが、「わたし」という生命を信頼して生きるということなのです。

枠の外にこそ、あなたがいる

恐れを避けて生きることは、一見安全そうに見えて、実は一番危険な生き方。
なぜなら、それは「本当の自分」を生きないというリスクを伴うからです。

安心安全の外側にこそ、あなたの未知の可能性が広がっています。