事実は事実として「以上!」──出来事を脚色せずに観るという生き方
思考は、事実をドラマにしたがる
思考というやつは、
単なる出来事を
そのままにしておくことが苦手。
単に起こった事実だけなら
「それで終わり」なはずなのに、
そこに意味づけをし、脚色を加え、
ドラマチックなストーリーを作り出す。
そして、そのドラマに沿って
感情が盛り上がり、気づけば
手放しづらい“特別な出来事”として
記憶に刻まれていってしまうのです。
出来事を脚色しないと、感情に振り回されない
もし私たちが、
その脚色をやめられたら、
どうなるでしょう?
事実は事実として──
「以上!」で終わらせる。
ただの出来事として観る。
それだけで、余計な感情は発生せず、
出来事は自然に過ぎ去っていきます。
観る対象は変わらないけれど、
そこにドラマを乗せないから、
脳内妄想に取り憑かれずに済むのです。
「観る」は、意識を使った行為
視覚的に「見る」と、
意識的に「観る」は違います。
観るとは、事実そのものに
そのまま意識を向けること。
良し悪しや意味づけを挟まず、
ただそこにあるものを
そのまま認識することです。
そうやって観ていると、
事実と解釈がはっきり分かれ、
現実がシンプルに見えてきます。
リアルを生きるということ
リアルを生きるとは、
出来事に余計なストーリーを付けず、
そのままの現実と向き合い、
味わって、過ぎ去らせていくこと。
そこには少しの執着も
被害者意識も入り込めません。
自分マスター講座では、
この「観る」ことを通して、
思考に引っ張られずに
ドラマに巻き込まれずに
リアルを生きる感覚を
取り戻していきます。
あなたは、出来事を
「観て」いますか?
それとも、
頭の中のストーリーを
「見て」いますか?
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