【「わたし」と「自分」の違い】思考も感情も“わたし”ではない
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【「わたし」と「自分」の違い】思考も感情も“わたし”ではない
「私はこう思う」
「私はこんな気分」──
でも、それって
本当に“わたし”の声?
今回お伝えするのは
【“わたし”と“自分”の違い】
自分マスター講座の中でも
大切なポイントの1つです。
この両者の違いが腑に落ちると
思考や感情に巻き込まれずに
生きられるようになります。
“わたし”はスペース、“自分”はコンテンツ
“わたし”は、背景=スペース。
思考や感情を対象として観ている。
“自分”は、図=形。
考えたり、感じたり、行動したり。
でも多くの人が、
この“図”と“背景”とを
混同してしまっています。
「感じている=私」
「考えている=私」
こうした誤った認識から
思考や感情に振り回されて
疲れ果ててしまうのです。
でも、本当の“わたし”は、
それを観ているスペース
どんな思考が浮かんでも、
どんな感情が湧いても、
静かに在り続けているんです。
formは“自分”、spiritは“わたし”
「精神主義」という言葉を聞くと、
“思考”や“感情”を扱うケースばかり。
でも、それらというのは、
形あるもの=formであり、
物質的な性質を持ったもの。
電波や音と同じで、
観察可能なものは
すべて“対象”であり、
“現象”に過ぎません。
一方、“わたし”=spiritは、
認識の対象となるformを
観ている意識そのもの。
つまり、“対象にならないもの”、
“認識の場”とも言える存在です。
「わたし」が目覚めると、「自分」は道具になる
自分マスターとは、
“わたし”が“自分”を使って
望みを生きる道のこと。
“自分”が主役だった人生を、
“わたし”が主となる構造に
戻していくためのプロセス。
“自分”=思考・感情・身体
この“自分”というシステムを
“わたし”=本来のマスターが整え、
使いこなせるようになっていく道です。
「鍛えられるもの」と「観るもの」
このときポイントになるのが、
- 鍛錬できるのは
思考と身体だけ - 感情は観るだけ
感情は、コントロールしようとすると
かえって反発してくるものですが、
観てあげれば自然と流れていくもの。
思考は、意図的に再構築できるもの
身体は、繰り返しにより変化するもの。
そして、この三位一体の
“自分”をマスターしていく道が、
まさに自分マスターなんです。
“わたし”と“自分”の構造に気づくことから
“わたし”が主となり、
“自分”を整え、活かしていく。
それが自分マスターという在り方。
本来の"あなた"である
意識としての“わたし”に還って
思考・感情・身体という道具
つまり、“自分”を使いこなして
望みを生きる人生を始めませんか?
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