【与えるって何?】評価されなくても与えているという真実
【与えるって何?】評価されなくても与えているという真実
こんなに与えてるのに
誰も感謝してくれない
もっと認めてほしい
受け取ってもほしい
そんなふうに感じるとき、
私たちは“与える”ことが
本当にできているのでしょうか?
今回は、自分マスター講座で
お伝えている【本当の与える】
在り方について掘り下げます。
「与えること」は素晴らしいこと。
私たちはそう教えられ、
育ってきたかもしれない。
だから、そうするべき。
でも──
- 受け取ってもらえないと落ち込む
- 感謝がないとイライラする
- 評価されないと虚しくなる
…という経験が、
誰でも一度や二度は
あるのではないでしょうか。
ここで一度、立ち止まり、
自分に問いかけてください。
果たしてそれは、
本当に“与える”だったのか?
自分マスター講座では、
こうお伝えしています。
「与えること」と、
- 評価されること
- 受け取ってもらうこと
- 認めてもらうこと
それらは、まったく別のこと。
本来の“与える”という状態は
源から湧いて出た何かを、
ただ差し出すこと
見返りや反応とは無関係の
ただ湧いてきたことの表現。
だから本当の“与える”には、
「与えているつもり」すらない。
だから、
「こんなに与えてるのに…」
そう感じてしまっているときは、
その裏には、期待や承認欲求が
潜んでいることがほとんどです。
つまり、エゴの構造が
密かに働いているということ。
本当に与えているときは、
それが受け取られようが、
たとえ無視されようが、
与えた側の内面は平和なんです。
それは「与えることそのもの」が、
すでに「満たされている行為」だから。
その逆に
自分が満たされていないときは
「与えなければ」
「役に立たなければ」
そんな風に頑張ってしまっていて
「もらうための与える」に
なってしまっているのです。
だから、それが思ったように
受け取られなかったときには、
「傷つく」というようなことが
起こってしまうのです。
自然にあふれ出てくる
エネルギーじゃないと、
すぐに枯れてしまうので、
ほんとうの「与える」は
自分に一致している状態
じゃないとできないのです。
私自身が「好きでやってること」
それが自然と、どこかの誰かへの
ギフトになっていることがあります。
評価されようとされまいと、
それをやめる理由はないはずです。
それはもう“与えている”という
自覚すら必要ないレベルの行為。
そういう与え方をできていると、
誰かから感謝されるとか、
自然と注目されるとか、
そういう形じゃないとしても、
世界全体の中で起きている循環が
不思議と感じられるようになります。
このような状態こそが、まさに
自分マスター講座で大切にしている
「源からの還元」
「循環」の生き方。
自分が“源とつながっていく”と、
与える・受け取るの区別が溶けて
生きることが「還元」に変わります。
「与えているのに報われない」
そう感じるときの「与える」は、
“本当の与える”になっていないのかも。
でも、それに気づけたなら、
そこから新たな道が開かれます。
周りの評価も承認も超えて、
エゴの構造から抜けて
【与えることそのもの】が
【喜び】になる世界へ。
その在り方の実践を
身につけていきませんか?
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